Tasteless Blog

Archive for the ‘歴史・神話’ category

おぅ……テスカトリポカの額のエスピツァル描き忘れとったわ……という訳で、直しておきました。
 

突然ですが、『アステカ王国 文明の死と再生』で「神殿に燃えさかる炎」のキャプションと共に掲載されている絵、あれ『マリアベッキアーノ絵文書』の蒸し風呂の絵ですよね。
……ツイッターで呟いた『マリアベッキアーノ絵文書』の蒸し風呂(テマスカリ)についての話を、こちらでも書きます。
 
マリアベッキアーノ絵文書のテマスカリの解説の、風呂の戸口に置かれた病人の擁護者とされる偶像というのはテマスカルテシ(蒸し風呂の祖母、ヨワルティシトルとかテテオ=インナンとかの別名)のことでしょう。蒸し風呂は病気の治療に用いられたようです。ヨワルティシトルとは「夜の産婆」「夜の医者」といった意味なので、治療に関わるというのは納得できます。
蒸し風呂を訪れた病人はこの偶像にコパルを捧げ、テスカトリポカに崇敬を表して体を黒く塗った、とあるけどテスカトリポカと病気の治癒や蒸し風呂とはどんな関係があるんでしょう。テスカトリポカは人を様々な病気に罹らせることができるから治療もできるということでしょうか? 『フィレンツェ絵文書』でも病気に罹った男がティトラカワン(テスカトリポカ)に祈願してるし、「我を治したまうならば汝に仕え奉ることを誓わん」とか……それでも治らなかった場合は例の罵倒になるんですが。
さて、『マリアベッキアーノ絵文書』のテキストによれば、「彼らは蒸し風呂を他の忌まわしく汚らわしい行為のためにも用いていた。例えば多くの男女のインディオが全裸で入浴し、そして大変不潔な行いや罪を犯した」とのことですが、これって実際にはどれくらいあったことなんでしょう? たまにはそういうこともあったのか、しばしばなのか。
入浴を非難する記述はこの絵文書がスペインの修道会の庇護の下書かれたものだからでしょう。中世ヨーロッパの風呂屋は衛生のためというより娯楽のために行く所で売春宿ともなっていて、そのため入浴施設は廃止されていき、16世紀頃には入浴の習慣が廃れてしまっていたらしいです。中世ヨーロッパの人たちは風呂に入らなかった、みたいなイメージがあるようですが、清潔が主目的ではないとはいえそれなりに浴場はあったんですね。むしろルネッサンス時代の方が入浴してなかったとは。
っていうか、インディオの入浴を不道徳とするのは、ヨーロッパでそうだったんだからメキシコでもそうに決まってる! みたいな決め付けを感じます。
 

アステカも! やってますよ!
……ようやく『悪夢に夢を見るな』トップ絵を新しくしました。
pixivの【ぴくテカ】企画にもテキスト付きで上げてあるので、よろしければそちらもどうぞ。

【ぴくテカ】テスカトリポカ by 約翰/Lajos Jancsi on pixiv


(ぴくテカの規約上、手足切断描写があるためR-18Gにしてあります。
pixivの閲覧制限を変更せずにご覧になるにはこちらからどうぞ。)
 

ひねくれ者かつ衒学者な約翰は、ついついマイナー気味なネタに走ってしまうのでした。という訳で、pixivで書いたことの補足を少し。
テスカトリポカがシトラリクエとシトララトナクの息子の一人(ケツァルコアトル・ウィツィロポチトリ・テスカトリポカ・ヨワルテクトリ・トラウィスカルパンテクトリの兄弟)という設定は『テレリアーノ=レメンシス絵文書』から取りました。『絵によるメキシコ人の歴史』版の赤のテスカトリポカ・黒のテスカトリポカ・ケツァルコアトル・ウィツィロポチトリの4兄弟という記述を否定するつもりはありません。こういう説もあるよと紹介してみたかったんです。
トランのウェマクを陥れ嘲笑するため女に化けて同棲というのは『クアウティトラン年代記』にありました。「126cm」にもう少し詳しく書いてますのでそちらをご参照ください。
「浅ましき男色者」呼ばわりは『フィレンツェ絵文書』第3・4書あたりですね。重い病気で苦しんでいる男がティトラカワン(テスカトリポカの別名、「我らは彼の奴隷」の意)を「おおティトラカワンよ、おお浅ましき男色者よ! すでに汝は我を相手に快楽を得た。疾く我を殺したまえ!」と非難したとか(ティトラカワンがこのことで怒らなければ病気を治してくれるが、そうでなければこのために病人は死ぬ)、戦争で捕虜を捕らえたが逃げられてしまった男がテスカトリポカに「汝男色者よ、おおティトラカワンよ! おおこのことが更にまた汝を堕落せしめた! 呪われてあれ、汝はただ我を弄ぶためだけに我に捕虜を与えたのだ!」と呪って悪罵したといったエピソードがあります。対テスカトリポカに限らず、男色者呼ばわりはアステカでは大変な侮辱であったようです。オリジナル設定の受け云々ですが、先に挙げた女に化けて同棲ということから来たイメージもあり、ナワトル語のcuiloneとは受けのことであろうとしている論文を見たことがあったからでもあり、言われてみれば「女々しい奴」「カマ野郎」みたいなニュアンスで使われてることもあるっぽいねと思ったからでもあり。でも襲い受け。襲われた方がただじゃすまない。
スカンクの話は『フィレンツェ絵文書』第5書を参照しました。スカンクの他にもヨワルテポストリとか大男とか死体の包みとかコヨーテとかいったものがテスカトリポカの化身として現れます。
太陽を奪う話は『絵によるメキシコ人の歴史』より。「ツィツィミメが天から降りてきて人々を喰らい、神々は自ら死に、テスカトリポカが太陽を奪い去り全ては滅ぶ」とされています。
それから、テスカトリポカが持っている手ですが、これは実は詳しいことは分かっていないのです(少なくとも私には)。図像としては、『フェイェルヴァリー=メイヤー絵文書』や『ボルジア絵文書』(こちらでは赤のテスカトリポカだけど)などに出てくるものです。アステカにハマって間もない頃に描いた絵では、アイリーン=ニコルソンの『マヤ・アステカの神話』の「戦士で毎日の神たるテスカトリポカが、人身御供の最も美味な部分と信じられていた掌を貪り食う」という記述に倣っていたんですが、エドゥアルト=ゼーラーによる『フェイェルヴァリー=メイヤー絵文書』の解説では「まるでこの神が演奏していた骨製のフルートのように、もぎ取られた人間の前腕の掌を彼の口に押し付けていた」とあったので、本当のところは何やってるんだろうと分からなくなりました。しかしながら、人間の腕が魔術に用いられたことがあったのは確かなようです。テスカトリポカが握っているものとは直接的には関係ないかもですが、『フィレンツェ絵文書』第6書によれば、泥棒が盗みに入った家の人間を気絶させるために出産の際に亡くなった女性の左前腕を取るので(他にも髪や指も戦場で敵の足を痺れさせる効果があるとされやはり狙われる)、夫は4晩の間妻の遺体が盗まれないよう守っていたとのこと。そんな訳で、私が描くテスカトリポカが持っている腕はマジックアイテム兼食料ということにしました。
……あ、そうだ。テスカトラネシュティアもオリジナル設定に組み込んどけばよかった。今になって思い出すとか……「テスカトリポカが持つ両面鏡は片面が煙る鏡テスカトリポカでもう一方は事物を明らかにする鏡テスカトラネシュティア」というネタを以前思いついていたのでした。テスカトリポカが両面鏡を持っているというのは『クアウティトラン年代記』、テスカトラネシュティアが出てくるのは『トルテカ=チチメカ史』です。直接関係はないけど混ぜてみました。テスカトラネシュティアについてはブログの過去記事「あのラ・フランスどうするんだよ。どうしてくれるんだよ。」「「Drunk for a penny, dead drunk for tuppence」を敢えて「1ペニーで酔っ払い、2ペンスで死ぬ」と訳すセンスが好きだと思いながらジンを飲む」に書いてあるので、そちらもご覧ください。
 

話は変わりますが、「日本誤訳・アステカ神話」はいったん下げました。訳・構成など見直し手直ししてから再公開したいと思います。
 

今回の『仮面ライダーウィザード』、大変私好みなお話でありました。「人間の心を持ったファントム(ただし人間の頃から連続快楽殺人犯)」とはエグい。前回「これは、実はいい奴……と見せかけて実はそうじゃなかったり?」とは思いましたが、ああいう方向から来るとは。人間の頃からもともと悪人だった怪人といえば『シンケンジャー』の人斬りを重ねた挙句生きながら外道に堕ちた十臓を思い出したけど、そういうのが宇都宮プロデューサーの趣味なんでしょうか。『ゴーカイジャー』のバスコもえげつない人間態あり怪人でしたよね、好きですが。
ソラは執着が強すぎてファントムにも人間のときの人格が残ったけれど、希望によって絶望を克服した訳ではないのでファントムが生まれることは止められなかった、みたいな感じ? 彼の行動にはまだまだ謎があるので今後も気になります。
 

話は変わりますが、『悪夢に夢を見るな』の「日本誤訳・アステカ神話」は近々いったん下げようと思います。色々見直したくなったので。
ツイッターでも書いたんですけど、『フィレンツェ絵文書』版と『太陽の伝説』版の第5の太陽創造譚を比較するためにまずは『太陽の伝説』の方から訳そう……としたけど、その前にケツァルコアトルが冥界に骨を取りに行く話とかトウモロコシを見つける話とかを訳しといた方がいいかな時系列的に、と思ってとりあえず骨の話を訳し、そうしたらこの話も『メキシコの歴史(Histoyre du Mechique)』版や『インディアス教会史』版を訳して比べてみたらいいんじゃないかとも思い、ついでに言うと以前公開した部分も手直ししたくなってきたり……で、コーナーの構成も含めて見直そうという次第です。
我ながら課題増やしすぎですが、何とかしたいです。

今日届いた本ですが、こうして並べてみるとなんだか色々と対照的な感じがしますね。

左のはミシュテカ-プエブラの考古学・美術に関する本で、右のはPRIMAのニューマリU攻略本です。
いずれもまだパラパラめくってみただけでちゃんと読めてはいませんが(こんなのばっかりだよな……)、「けちった金額は今にして思えば微々たるものだった」に書いた翼ある蛇、「9の洞窟の風」である蛇の体に鳥の頭と翼を持った生き物の図像を見つけて興奮しました。

それから、ニカラグアからコスタリカにかけて興ったニコヤ文化の土器に見る中央メキシコの影響について書かれた記事もあって、これまた昂ります。これを読んでからBLAMに行けばもっと楽しくなりそう。
ニューマリU攻略本の方ですが、コクッパの名前がファーストネームのみの記載になっていて悲しかったです。アメリカ任天堂のニューマリU公式サイトではルドウィッグが「Ludwig Von Koopa」とフルネームで呼ばれていたので、設定自体がなくなった訳ではないでしょうけど。
でもコクッパ絵が大きく使われているのはこれまでのPRIMAの攻略本同様で、そこは嬉しいです。

第1弾はこちら
今回はトランのケツァルコアトル関連のネタで攻めてみました。
 
 

 ケツァルコアトルはトラロックとその子供たちと球技をした
これは『太陽の伝説』の中のトランの滅亡エピソードに基づいていますが、正確には「トランの王ウェマクが雨の神々トラロケと球技をした」です。勝利の賞品として翡翠とケツァルの羽根を要求したウェマクに対しトラロケは「我らの翡翠とケツァルの羽根」としてトウモロコシを贈ったが、ウェマクは拒否しました。そこでトラロケは翡翠とケツァルの羽根を贈りましたが、トウモロコシを隠してしまいました。そして「トルテカの民は4年の間苦しむことになるだろう」と言い、その言葉通りトルテカ人は4年間飢饉に苦しむことになったのでした。

 テスカトリポカはトウガラシ売りに化けてケツァルコアトルの娘を誘惑した
これは『フィレンツェ絵文書・第3書』の中のトランの神官王ケツァルコアトルと3人の妖術師のエピソードに基づいていますが、正確にはウェマクの娘です。先に挙げた例もですが、『マヤ・アステカの神話』の著者アイリーン=ニコルソンは「ウェマク=ケツァルコアトルの別名」として一律に置き換えているようです。確かに、アルバ=イシュトリルショチトルの『Sumaria Relación de Todas las Cosas que han sucedido en la Nueva España…(ヌエバ=エスパーニャで起こったすべてのことと(略)に関する概要報告 )』ではケツァルコアトルとウェマクは同一人物として書かれています。しかし、他の史料には違った記述もあります。このケツァルコアトルとウェマクの件に関しては後ほどもっと詳しく調べるつもりですが、それはまたの機会に。ここでは差し当たって、ケツァルコアトルとウェマクが別人である例として、『クアウティトラン年代記』ではトランのウェマクが2人組の妖術師ヤオトルとテスカトリポカの化けた女たちと同棲してしまったためにケツァルコアトルを辞めたことや、ドゥランの『ヌエバ=エスパーニャ誌』では2人組の妖術師ケツァルコアトルとテスカトリポカが娼婦ショチケツァルをトゥーラ(トラン)の王ウェイマク(ウェマク)の部屋に送り込んで陥れようとし、その結果ウェイマクはトゥーラを去ることにした、などを挙げておきます。っていうか、すべてのウェマクがケツァルコアトルの別名に過ぎないのだとしたら、ケツァルコアトルはでかい尻の女に固執したために命を落とす羽目にもなるんですが(『トルテカ=チチメカ史』より)、アイリーン=ニコルソンはその辺どう思っていたんでしょう?

 テスカトリポカが化けたトウガラシ売りの名前はトウエヨ
『メキシコの神話伝説』(そしてその参考となった『Myths of Mexico and Peru』)にはそうありますが、これは個人名ではなく「我らの隣人」という意味で「ワステカ人」を表す語です。サアグンは『フィレンツェ絵文書・第3書』スペイン語テキストに「un indio forastero, que se llama toueyo」と書いていたんですが、スペンスはこれを「an Indian of the name of Toueyo(Toveyo)」と英訳し、さらに松村氏はそれを「アメリカインディアンの(中略)トウエヨ(Toueyo――一説にはトヴェヨToveyo)と申す方」としたのでした。確かに、「un indio forastero, que se llama toueyo」は「トウエヨという名の余所者のインディアン」と訳せます。しかし、『フィレンツェ絵文書・第10書』に載っている諸民族の解説を読むと、ワステカ人(Cuexteca、単数形はCuextecatl。ちなみにこの名称は地名Cuextlanに由来)の別名はToueyomeで単数だとToueyoだということが判ります。なので、「un indio forastero, que se llama toueyo」はこの場合「a foreign Indian who was called Toueyo」「ワステカ人と呼ばれる余所者のインディオ」ぐらいの訳の方が適切ではないでしょうか。また、同書によれば、トウガラシ売りにはワステカ人がかなりいた模様。さらに、ワステカ人はマントはあってもふんどしは着けていなかったようで、これらの情報から推して、局部を露出したワステカ人のトウガラシ売りというのは別段特殊な存在ではなかったと思われます。
ところで、『メキシコの神話伝説』ではテスカトリポカは緑のトウガラシではなく緑の彩具を売っていたことになっていますが、これは『フィレンツェ絵文書・第3書』スペイン語テキストの「aji verde(緑のトウガラシ)」をスペンスが「green paint」と訳したものを参考に書いたからです。しかし、なぜスペンスがそのような訳をしたのかは判りません。
そういえば、ブリントンの『American Hero-Myths』には「Transforming himself into the likeness of one of those Indians of the Maya race, called Toveyome(1人のトウェヨメと呼ばれるマヤ民族のインディアンに変身し)」「Toveyome is the plural of toveyo, which Molina, in his dictionary, translates “foreigner, stranger.” Sahagun says that it was applied particularly to the Huastecs, a Maya tribe living in the province of Panuco.(トウェヨメとはトウェヨの複数形で、モリーナの辞書によれば、「外国人、余所者」と訳される。サアグンはそれは特にワステカ人、パヌコ地方に住むマヤ部族について用いられると言う)」と書かれていました。ブリントンはまた「aji verde」を「green peppers(緑のトウガラシ)」と訳してましたが、『メキシコの神話伝説』の参考文献には『American Hero-Myths』も挙げられているのに、松村氏はトウェヨ関連の箇所は見落としてたんでしょうか……?

 ケツァルコアトルはテスカトリポカが勧めた酒に酔い妹のケツァルペトラトルと近親相姦してしまった
この辺りは別々の史料から取った話を1つに合成していたり、翻訳や解説の過程でオリジナルにない要素が入ってきていたりするので、分解しなおしてみましょう。
まず、テスカトリポカがケツァルコアトルに酒を勧めたのは『フィレンツェ絵文書・第3書』ですが、こちらでは3人の妖術師ティトラカワン(テスカトリポカ)・ウィツィロポチトリ・トラカウェパンのうち、老人に化けたティトラカワンが病気のケツァルコアトルに薬と称して白いプルケを飲ませて酔わせますが、その後話題はティトラカワンがトウガラシ売りのワステカ人に化けてウェマクの娘を誘惑することに移り、ケツァルコアトルはしばらく出てきません。ケツァルペトラトルと何かしたということもありません。というかケツァルペトラトルは出てきません。
ケツァルペトラトルが登場するのは『クアウティトラン年代記』です。こちらでは、3人の妖術師はテスカトリポカ・イウィメカトル・トルテカトルとなっています。まず、テスカトリポカはケツァルコアトルを訪れて持参した鏡を見せます。それからテスカトリポカはイウィメカトルと相談し、羽根細工師コヨトリナワルをケツァルコアトルの元に行かせます。鏡に映る自分の醜い姿に衝撃を受け、臣民に見られることを恐れていたケツァルコアトルは、コヨトリナワルが作った仮面や装束と化粧によって美しく装った自分を鏡で見て満足します。それから、イウィメカトルはトルテカトルと共にプルケを醸してケツァルコアトルに勧めます。酔ったケツァルコアトルは姉のケツァルペトラトルも呼んで一緒に酒を飲み、彼らは沐浴や苦行をしようとしないまま夜明けを迎えました。
……という訳で、「ケツァルコアトルはテスカトリポカが勧めた酒に酔い妹のケツァルペトラトルと近親相姦してしまった」のうち、「ケツァルコアトルはテスカトリポカが勧めた酒に酔い」の部分は、『フィレンツェ絵文書』と『クアウティトラン年代記』の記述が混ぜ合わされたものであることが判りました。
では、「妹のケツァルペトラトル」はどうなのか。先に私は「姉のケツァルペトラトル」と書きましたが、それは『クアウティトラン年代記』のナワトル語テキストでは「hueltiuh」となっていたからです。ナワトル語では姉と妹を区別しますが、スペイン語や英語などではその区別はあまり重視されません。しかし、日本語は姉と妹を区別する言語です。なので、「ナワトル語のhueltiuhをスペイン語のhermanaや英語のsisterと訳したものを日本語訳する際、元のナワトル語テキストを参照しなかったために姉か妹か判らず、なんとなくイメージで妹と訳してしまった」という経緯があって日本では「妹のケツァルペトラトル」という設定が定着してしまったことが推測されます。他の例としては、「ドゥランの『ヌエバ=エスパーニャ誌』でもシワコアトルやマリナルショチトルはウィツィロポチトリのhermanaとしか書かれていないので、姉か妹かははっきりしないが、日本では妹とされることが多い」というのもあります(なお、先住民系クロニスタ・チマルパイン=クアウトレワニツィンが著したナワトル語テキストによれば、ウィツィロポチトリはマリナルショチトルのことを「我が姉 nohueltiuh」と呼んでいます)。
それでは、「近親相姦してしまった」というのはどこから出てきたのでしょうか。これは私の勝手な憶測ですが、「沐浴や苦行といった神官の義務を忘れてしまった……ということは、純潔の義務も放棄してしまったんじゃないか? 酔っ払っていい気分になった男と女が一緒にいて何も起こらないなんてことがあるか?」と想像をたくましくした結果なんじゃないかと……「何もしなかった」より「エロいことしてた」の方が話として盛り上がるし……。先に紹介した、ウェマクが女たちと同棲してしまったためにケツァルコアトルを辞めたエピソードなどからの類推もありそうですね。
ところで、テスカトリポカ以外のケツァルコアトルを陥れる計画に関わった妖術師等についても少し説明します。
『フィレンツェ絵文書』版の妖術師たちのうち、ウィツィロポチトリは言うまでもないメシーカ人の守護神ですが、トラカウェパンについてはあまり情報がなく詳しいことは判りません。彼の名は「木材の人」「人間の梁」といった意味で(「上に人の頭が乗った木の梁」の絵文字で書かれる)、アステカの貴族にもしばしば見られます。後にペドロと改名したモテクソマ2世の息子もまたこの名を持っていました。トラカウェパンはウィツィロポチトリのある面を表わすと考えられているようですが、テスカトリポカ・ウィツィロポチトリ・トラカウェパンの3人組はテスココ・テノチティトラン・トラコパンの三国同盟を象徴しているとする説もあるそうです。
『クアウティトラン年代記』版の妖術師たちのうち、トルテカトルはプルケの神センツォントトチティンの一員ですが、イウィメカトルについてはあまり情報がなく詳しいことは判りません。それから、ケツァルコアトルに装束等を作ったコヨトリナワルは『フィレンツェ絵文書・第9書』によれば羽根細工師の守護神の筆頭で(同書には羽根細工師の神々は1.コヨトリナワル2.ティサワ3.マクイルオセロトル4.マクイルトチトリ5.シウトラティ(年長の方の女神)6.シロ(年少の方の女神)7.テポステカトルの7柱とある)、黄金の歯と牙のコヨーテの頭と皮を着け、黒曜石の刃を付けた棍棒と青いボーダーの竹の楯を持ち、ケツァルの羽を入れた壷を背負い貝とガラガラを足に着けユッカ繊維のサンダルを履くコヨーテ戦士の姿をしています。

 テスカトリポカは蜘蛛に化けてケツァルコアトルに酒を勧めた
先の項目の続きのような話題ですが、『メキシコの神話伝説』収録の「蜘蛛の災い」には「あるときテズカトリポカは、自分の姿を蜘蛛に変えた。そして美しい糸を吐いて、その糸にすがりついて、空から大地に降りてきた。そしてクェツァルコアトルの館に這って行って、プルクェという酒を王に勧めた。王がその酒を飲んで見ると、何ともいえぬ程いい味がしたので、その後は毎日のようにこれを飲み続けていた。そうしているうちに、クェツァルコアトルの心が次第に荒んで来て、妃のクェツァルペトラトルのことなどすっかり忘れてしまって、淫らな女たちを愛するようになった」とあります。これはスペンスの『Myths of Mexico and Peru』に書かれていたことを基にしています。スペンスの本では「Tezcatlipoca, descending from the sky in the shape of a spider by way of a fine web, proffered him a draught of pulque, which so intoxicated him that the curse of lust descended upon him, and he forgot his chastity with Quetzalpetlatl.(蜘蛛の姿をとって美しい巣の道によって空から降りてきたテスカトリポカは、彼(ケツァルコアトル)に1杯のプルケを差し出した。それは彼が快楽の呪いにかかり、ケツァルペトラトルと共に純潔を忘れてしまうほどに彼を酔わせた)」となっていましたが、ケツァルペトラトルが何者かについては説明がなかったため、松村武雄氏は彼女はケツァルコアトルの妃であり、彼は純潔と妃とを共に忘れてしまったのであると解釈したようです。ところで、スペンスは『Myths of Mexico and Peru』の件の箇所をブリントンの『The Myths of the New World』の「Tezcatlipoca, otherwise called Yoalliehecatl, the wind or spirit of night, who had descended from heaven by a spider’s web and presented his rival with a draught pretended to confer immortality(テスカトリポカ、あるいはヨワリエエカトル、夜の風または魂と呼ばれる蜘蛛の巣によって空から降りてきた彼のライバルと不死をもたらすとして勧められた1杯の酒)」および『American Hero-Myths』の「As the fumes of the liquor still further disordered his reason, he called his attendants and bade them hasten to his sister Quetzalpetlatl, who dwelt on the Mountain Nonoalco, and bring her, that she too might taste the divine liquor.(中略)Soon they were so drunken that all reason was forgotten ; they said no prayers, they went not to the bath, and they sank asleep on the floor.(その酒の匂いがなおも彼(ケツァルコアトル)の理性を失わせていたため、彼は従者たちを呼び、ノノアルコの山に住んでいる彼の姉妹ケツァルペトラトルもこの聖なる酒を味わうだろうから、彼女のところへ急いで行き彼女をつれて来るよう命じた。(中略)すぐに彼らはとても酔っ払ってしまい、まったく理性をなくしてしまった。彼らは祈りを捧げることもなく、沐浴することもなく、床の上で眠りに落ちてしまった)」といった記述を参考にして書いたようなのですが、なぜsisterを省いてしまったんでしょうか? そして、ブリントンは『クアウティトラン年代記』の記録として紹介している『American Hero-Myths』の物語では蜘蛛の巣云々は書いていなかったのに(『クアウティトラン年代記』には書かれていないんだから当然ですが)、なぜ『The Myths of the New World』ではメンディエタの『インディアス教会史』から蜘蛛の巣を持ってきてくっつけてしまったんでしょうか? インパクトある登場の仕方だから? なお、『インディアス教会史・第2書』の第5章「テスカトリポカがどのように空から降りてきてケツァルコアトルを死へと追いやったか」では蜘蛛の巣でできたロープによって空から降りてきたテスカトリポカは、ケツァルコアトルと球技をして、それからジャガーに変身しケツァルコアトルを追い回しますが、酒を勧めたりはしていません。それにしても、『メキシコの神話伝説』の参考文献には『American Hero-Myths』も挙げられているのに、松村氏はケツァルペトラトル関連の箇所は見落としてたんでしょうか……?
 

 
 
……他にもいろいろありますが、今回はひとまずこの辺で。
この記事で取り上げた話題と関連する辺りだけでも「ケツァルコアトルとテスカトリポカとウェマク」「ケツァルコアトルと人身供犠」「ケツァルコアトルの帰還」「ケツァルコアトル白人説」などなど気になるネタが沢山ですが、それらは今後の課題といたします。でもたぶん第3弾はまた別の話題。

ええと、早速ですが「四人家族が三が日に消費するには明らかに多過ぎる餅…せめて真空パック入りのものにしておいて欲しかった……」の補足というかなんというか。
メソアメリカにも「翼ある蛇」というものがいなかった訳ではないっぽいです。
ミゲル=レオン-ポルティーリャ編『Native Mesoamerican Spirituality』に収録されたミシュテカ人の起源神話によると、男神「1の鹿、通称ライオンの蛇」と女神「1の鹿、通称虎の蛇」の間に生まれた2人の息子「9の蛇の風」「9の洞窟の風」のうち、弟の「9の洞窟の風」は翼ある蛇に変身することができたそうです。
しかし、この翼ある蛇といわゆるケツァルコアトルとの関係はよく判りません。
この神話の出典は修道士グレゴリオ=ガルシアの著作『Origen De Los Indios De El Nuevo Mundo, E Indias Occidentales』です。
また、この神話は松村武雄編『メキシコの神話伝説』にも「III ナフア族の神話伝説  1 世界の始め」のタイトルで収められています。「あらゆる動物に姿を変えることも出来」でまとめられている中に翼ある蛇も含まれていた訳ですが、このエピソードはルイス=スペンスの『Myths of Mexico and Peru』からほとんどアレンジなしで翻訳したものです(参照元ではミシュテカの神話となっていたのをナフア(ナワ)にしてしまったのはさて措き)。なお、『メキシコの神話伝説』で「『豹蛇』と呼ばれる雄々しい鹿の男神と、『虎蛇』と呼ばれる麗しい鹿の女神」とあるのは、ガルシアの原文では「vn Dios, que tuvo por Nombre vn Ciervo, i por sobrenombre culebra de Leon; i vna Diosa mui linda, i hermosa, que su Nombre fue vn Ciervo, i por sobrenombre Culebra de Tigre」です。男神と女神の名はいずれも「vn Ciervo(1の鹿)」で、通称がそれぞれ「culebra de Leon(ライオンの蛇)」「Culebra de Tigre(虎の蛇)」だったということです(「Leon」「Tigre」は普通は「ライオン」「虎」ですが、メソアメリカ的に考えると「ピューマ」「ジャガー」となるようで、ミシュテカの起源神話についてウェブで検索すると彼らは「 Uno Venado Serpiente de Puma」「Uno Venado Serpiente de Jaguar」という名で出てきたりもします)。「1の鹿」とは彼らのメソアメリカではおなじみ暦の名ですが、松村氏が参照したスペンスの本では「one day the deer-god, who bore the surname Puma-Snake, and the beautiful deer-goddess, or Jaguar-Snake, appeared」となっていました。つまりこの件はスペンスの解釈がおかしかったのであって、中南米に関してはおそらく専門外であった松村氏はそれをそのまま訳してしまっただけです。

なんだかものすごく今更ですが、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
拍手・コメントありがとうございました。
 
さて、「私がドーナツを買っている間にまさかそんな」で触れた『ドキュメント20min.』「中南米“ゆるキャラ”奮闘記」 はご覧になりましたか?
中南米をPRするべく奮闘する森下館長の様子が見られて興味深かったです。BLAMその他美術館では何度かお会いしたことがありますが、大使館とかゆるキャラサミットとかのようなミュージアム以外の場でもいろいろ活動しているということが、前から聞き知ってはいたけれどより具体的に分かりました。BLAMだけではなく中南米そのものに対する関心が高まるといいですね。って、かくいう私もアステカでいっぱいいっぱいでなかなか手を広げられずにいるんですが……。
踊るペッカリーも見られましたが、番組中ではちょっと短かったです。実際にはフルで演ってましたよね、しかも3回ぐらい……取材に関わった皆様、お疲れ様でした。私は脇で見ていただけなので気楽なものですが、楽しませていただきました。
『ドキュメント20min.』「中南米“ゆるキャラ”奮闘記」 再放送は1月12日(土)午後3時35分~3時55分ですよ! 見逃した方も安心!

 
話は変わりますが、『にじのまんなか』『悪夢に夢を見るな』それぞれのトップ絵を年賀仕様にしております。どちらも微妙に解り辛いネタかもですが……。
『にじ』のは『アドバンス4』(スーファミの『スーパーマリオコレクション』の方が先か)版『マリオ3』にてラリーが草原の国の王様を蛇(『マリオUSA』の敵キャラ・ガラゲーロ(英語名Cobrat))に変身させたということから。
『悪夢』のは『マリアベッキアーノ絵文書』に描かれていたプルケの女神アトラコアヤ=テスカコアック。アトラコアヤとは黒い水あるいは黒ずんだもの、テスカコアックは鏡の蛇といった意味の名です。400羽の兎ことプルケの神々と関係のある、マヤウェルの同系統ないし分身・化身的存在と考えられている女神です。巳年ということでケツァルコアトル……は他の人が描きそうだしなぁ、と思いなるべくかぶらないような神様を選んだつもりです。
 
そうそう、ケツァルコアトルと言えば、「翼ある蛇」という意味であるとされ、鱗に覆われた蛇に鳥の翼をつけた姿の絵をしばしば目にしますが、しかしよく考えるとそれらは現代のものばかりで、アステカの絵文書等では鱗のかわりに羽毛で覆われた蛇という姿で描かれたものが多いような気がします。そこで、2013年最初のアステカネタブログ記事は「ケツァルコアトルは「翼ある蛇」か?」というネタで参ります。
 
『The Oxford Encyclopedia of Mwsoamerican Cultures』の「Featherd Serpent」の項によれば、羽毛ある蛇Feathered Serpentとは鳥の羽毛を蛇そして時として鰐やネコ科動物の体と組み合わせたものであり、ケツァルコアトルQuetzalcoatlとはケツァル鳥の羽根quetzalliと蛇coatlから成る名前です。
どうも重要なのは羽毛であって翼という要素はあまり考慮しなくていいような感じですが、なぜ現代においては「翼ある蛇」というイメージの方が一般的なんでしょうか……そっちの方が格好よさそうだから?
確かに、私としても「翼ある蛇」の方が絵にしやすい気がします。構図に変化が付けやすいし、鱗と羽毛の異なった質感の組み合わせも面白いし、何より翼というものへの憧れがあるし。
そんな訳で、「羽毛ある蛇」→「羽ある蛇」→「翼ある蛇」と言葉がずらされていったんだと思います。そして、「翼ある蛇」の絵を見た人々にそのイメージが刷り込まれ、彼らによって「翼ある蛇」が再生産されさらに広まり定着していったのでしょう。ゲーム『女神転生』シリーズの影響もいくらかあるかも知れません。私は未プレイなので詳しいことは分かりませんが、ケツァルコアトルの画像を検索していると件のゲームのケツアルカトル(なんでこういう表記なんだろう)の画像もちょくちょく出てくるので。
 
ところで、先に「ケツァルコアトルQuetzalcoatlとはケツァル鳥の羽根quetzalliと蛇coatlから成る名前」と書きましたが、このquetzalとかquetzalliがまた混乱の元というかややこしいものなんですよね。っていうか、学名Pharomachrus mocinno・和名カザリキヌバネドリのことをケツァールquetzalと呼ぶから紛らわしいんですよ。ナワトル語での呼び名に倣ってケツァルトトトルquetzaltototlにしておけばよかったのに。
あ、ケツァルトトトルとはケツァル鳥の羽根quetzalliと鳥tototlから成る名前です……って、いやいやこの説明はなんかおかしい! 日本語にはquetzalliを一言で表せる単語がないせいでこんなことに!
ケツァリとは辞書では「カザリキヌバネドリの尾羽(正確には上尾筒の羽根)」「緑色で長くて貴重な羽根」といった説明がなされます。非ナワトル語話者(というか、「ケツァリ」に1対1で対応するような単語を持たない言語の使い手)は自分たちの言語では説明的に訳さざるを得ないのでこんな書き方になるんですが、多分、ケツァルコアトルだのケツァルトトトルだのの前にまずケツァリという言葉があったんですよ。そして、ケツァリが生えている蛇がケツァルコアトルでケツァリが生えている鳥がケツァルトトトルなんでしょう。ナワトル語を話す人々が住んでいた辺りにはケツァル鳥は生息しておらず、羽毛のみがまず貴重な交易品としてもたらされたのだと思います(『フィレンツェ絵文書・第9書』にテノチティトランの交易商人ポチテカがマヤ系の人々が暮らすツィナカンタン(シナカンタン、現メキシコ・チアパス州)を現地人に変装して訪れケツァリを手に入れたことが書かれている)。その貴重な羽毛はナワトル語で「立つ」という意味のquetzに由来するケツァリという語で呼ばれるようになり、後にケツァリの持ち主である鳥が彼らに知られたとき、その鳥はケツァルトトトルと名付けられたのでしょう。また、その貴重な羽毛は天と地の生物の特徴を併せ持つ創造と豊穣の神を表すのに相応しいものとされ、ケツァリと蛇が融合したケツァルコアトルが生まれたのではないでしょうか。
少々話題がそれるかもですがそういえば、ケツァルコアトルに結び付けられる羽毛はケツァリだけというわけではないかも……『フィレンツェ絵文書・第1書』『プリメーロス=メモリアーレス』に書かれた人間の姿をしたケツァルコアトルの装束の解説では、背中にコンゴウインコの羽根飾りを付けていたというんですよね。そしてテスカトリポカの背中にはケツァリを入れた壺が負われていたなど、ケツァルコアトル以外の神々にもケツァリは用いられています。
 
なんだか取り留めがなくなってきたので今回はこの辺で。
まぁ今年も当ブログはこんな感じですよきっと。よろしければ今後とも御贔屓に。

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Warum ist Johannes Ludwig bös?では、テスカトリポカがなぜ400人の息子と5人の娘を作ったのかを書いてなかったなぁそういえば。なぜかというと、神々が戦争を望んだからです。男たち400人は太陽が作られる前に死んでしまったけれど、その後生き返ってウィツィロポチトリを宿したコアトリクエを殺害しようとしますが完全武装で生まれたウィツィロポチトリによって返り討ちにあいます。女たちは太陽が作られた日に死んだけれどやはり生き返り、コアテペックで苦行を行なっていました。
『絵によるメキシコ人の歴史』によれば、ウィツィロポチトリが羽毛となって処女のコアトリクエを懐妊させたのは、彼が万能の神であり望むことはなんでもできたからだということです。しかし『フィレンツェ絵文書』では、ウィツィロポチトリが凶兆と称されることがあるのは羽毛によってコアトリクエが妊娠した際に誰も父親が名乗り出なかったためだとされています。私見ですが、コアテペックでのウィツィロポチトリ誕生譚についてのメシーカ人の認識は『絵によるメキシコ人の歴史』の方によく表れているんじゃないかと思います。『フィレンツェ絵文書』の方は著者サアグンの意見が入っているような気がします。キリスト教宣教師としては、異教の神というか悪魔が処女懐胎(『フィレンツェ絵文書』版では子持ちの未亡人だけど、通常の性行為によらず身ごもったということで)によって生まれたなんて認めたくなかったんじゃないかと。それはイエス=キリストの専売特許にしておきたかったんじゃなかろうか、と思うんです。

前の記事のアステカネタを書いていて気になったんですが、ショチケツァルがピルツィンテクトリとの間にもうけた息子の話はあるけど、テスカトリポカとの間に生まれた子供の話ってあるんでしょうか。
アイリーン=ニコルソンの『マヤ・アステカの神話』にはウィツィロポチトリが彼を殺してしまえと要求したテスカトリポカの400人の息子たちを殺したことが書かれてますが、彼らは(黒の)テスカトリポカが一人で作り出したものなので、ショチケツァル及び他の妻たちは関係なさそうです。彼女の本には書かれてませんがl、彼らは黄・黒・白・青・赤の5つの色を持ち、天の第3層に住んでいるそうです。それはそうと、その話にテスカトリポカの400人の息子たちを出すなら、コアトリクエと4人の姉妹(名前は不明)は彼らと同時に作られたテスカトリポカの娘たちであることも言っておかないと正確さを欠いてしまうでしょう。ちなみに、これは『絵によるメキシコ人の歴史』版のウィツィロポチトリ誕生エピソードです。『フィレンツェ絵文書』版ではテスカトリポカは関わってきません。『マヤ・アステカの神話』の「羽をもつ蛇の誕生」は、『フィレンツェ絵文書』『絵によるメキシコ人の歴史』のウィツィロポチトリ誕生譚と『クアウティトラン年代記』『太陽の伝説』の(セ=アカトル=トピルツィン=)ケツァルコアトルの誕生にまつわる話から取捨選択したものを混ぜ合わせて書かれたようです(アイリーン=ニコルソンによればウィツィロポチトリは「ケツァルコアトルの後期アステカ版表現」「ケツァルコアトルの後継者」なので。もっとも、「『魔法使い、恐怖を与えるもの、生の秩序を乱すもの』であるとも言われる――しかし、これは彼をテスカトリポカとして見たとき、もっとよく当てはまる」とも言ってますが)。そこまでは判りましたが、「この物語の劇的な版の一つは、女神の名はラで、(後略)」の部分の出典が突き止められずもどかしい思いをしています。この本もちょくちょく元の神話をぼかしたりアレンジしたり改変したりとかしてるからなぁ……参考文献を詳らかにしていないのはツッコまれたら困るからかと疑ってしまいますよ。
ところで、『絵によるメキシコ人の歴史』ではウィツィロポチトリは最初は赤のテスカトリポカことカマシュトリあるいはミシュコアトル・黒のテスカトリポカ・ケツァルコアトルと共にトナカテクトリ・トナカシワトル夫婦から生まれていますが、後に処女コアトリクエの胎内に宿り再び生まれ、メシーカ人の神となります。つまり、ウィツィロポチトリは黒のテスカトリポカの弟かつ孫ということになります。そして、ウィツィロポチトリがコアトリクエから生まれるより前、チチメカ人の族長として自らも人間となったカマシュトリと出会いセ=アカトル(=トピルツィン=ケツァルコアトル)を生むことになる女性もまたコアトリクエの姉妹、テスカトリポカの5人の娘のうちの一人です。だから『絵によるメキシコ人の歴史』版セ=アカトルは赤のテスカトリポカの息子にして黒のテスカトリポカの孫ということに。
話は少し戻りますが、『マヤ・アステカの神話』ではケツァルコアトルはコアトリクエから生まれたとされています。確かに、『クアウティトラン年代記』ではトランを去ることになったケツァルコアトルが母コアクエイエ(コアトリクエの別綴)に呼びかけるくだりがあります。しかし彼の誕生を描いた箇所ではチマルマンが翡翠を飲み込んだことにより彼を身ごもったということになっています。チマルマンとコアトリクエは同一視されていたのか、それともコアトリクエは象徴的な「母なる女神」なのか……あ、そういえば、ムニョス―カマルゴの『トラスカラ史』ではケツァルコアトルはミシュコアトルとコアトリクエとの間の息子でしたね。他にも何かあるかはまだ調べられてませんすみません。この辺はいずれもう少し突っ込んで調べたいですが、今は措いておきます。『マヤ・アステカの神話』にて「処女のコアトリクエは、羽を集め、胸に当てた。別の物語によれば、母なる女神は、羽ではなくてエメラルドを呑み込むが、(後略)」とあるので、「母なる女神=コアトリクエ」と読めそうですが、これはおそらく『クアウティトラン年代記』のチマルマンのことでしょう。アイリーン=ニコルソンの本の記述がなぜそんな風になったかについては、前述したように彼女がケツァルコアトルとウィツィロポチトリの誕生エピソードを混合していて、かつコアトリクエの重要性を強調するためチマルマンの名は出さなかったからではないかと思います。
チマルマンとコアトリクエの関係ですが、彼女たちが姉妹とされている史料もあります。『バチカンA絵文書』によれば、「チマルマン・ショチトリクエ・コアトリクエの3姉妹がトランに住んでいた。シトララトナク神の使者が天から降りてきて、ショチトリクエとコアトリクエはショックで死んでしまったが、生き残ったチマルマンは息子を授かったと告知を受けた」ということです。ショチトリクエ(ショチケツァルとは別らしい)&コアトリクエ、なんか引き立て役というか、すごく雑魚臭い死に方……。

ショチケツァルは最初はトラロックの妻だったがテスカトリポカが彼女を奪ったという有名なエピソードがムニョス―カマルゴの『トラスカラ史』にありますが、確か他にもピルツィンテクトリの妻だという話もあったよなぁと思っていくつかの資料を当たったところ、『メキシコの歴史(Histoyre du Mechique)』ではピルツィンテクトリの妻でショチピリまたはセンテオトルを産み、さらに彼らの子ではないがナナワトン(ナナワツィン)も育てたとか、『テレリアーノ=レメンシス絵文書』ではセンテオトルの妻だとか、いろんなバリエーションがあるらしいことが判りました。にも関わらず最初に挙げたバージョンばかりが紹介されるのは、やっぱりネタ的に面白いからなんでしょうね。そういえば『世界の神話百科アメリカ編』ではショチケツァルはショチピリの姉妹ないし女性配偶神とされていますが、この記述はゼーラーの「古代メキシコの宗教歌」にてショチケツァルがショチピリに相対するものとされていたり、ショチピリがセンテオトルやピルツィンテクトリと同一視されたりしていたことから来ているんでしょうか。
 
……とまぁこんなことをなんとなく考えつつ日々を送っているんですが、BIZEN中南米美術館(BLAM)の館長さん曰く「日本人の多くが持っている古代中南米に関する知識は大福で言えば美味しい中身をほとんど知らないまま薄~い表面の皮だけを食べてるようなもの。アステカ時代以前のメソアメリカの諸文化やマヤ文明の全体像や時代的深み、プレインカと言われるインカ以前のアンデス文明圏に咲いた諸文化のこと、そして日本には研究者すらいないような中間領域の実に個性的な文化の数々。それらがほとんど紹介されず、紹介されないから知らない。本当はそこが大福の美味しい部分なのに、皮だけ食べて満足してる」とのこと。私などはさしずめ「皮美味ぇ! 餡子も美味しいけどこの皮が好きだ!」と言っているようなものですが、しかしそれも餡子を少しでも味わってみたからこそなんだろうなとも思います。そして「皮が好きだけど餡子も食べたいよね。だって餡子も美味しいし」な気分になってきたので、またBLAMに行ってきました。BLAMが県内にあってよかった。いや、県外の方々にも観ていただきたいと思いますが。アクセスがあまり良くないのがなぁ……。
 
12/1より始まった『ペッカリーと愉快な仲間たち展』、初日に行ってまいりました。
古代中南米の諸文化を「ゆるキャラ」という観点から紹介してるんですが、これも古代中南米諸文化に対する興味を抱かせようとする工夫のひとつでしょうね。

 ↑『ゆるキャラさみっとin羽生』にて配布された資料の表紙
実際、日常生活において古代中南米を意識する機会はそうないだろうし(かくいう私も今に至るきっかけはたまたま『インカ・マヤ・アステカ展』の宣伝を見たことだったし)、こういうのなら取っ付きやすそうです。

 ↑ペッカリー(ヘソイノシシ)土偶
ペッカリー土偶はどうも副葬品ではなかったらしいですが、古代人も日常的にこういうものを眺めて和んでいたのかと思うと親近感が湧きますね。他にも、子供を抱いた母親をかたどった土偶を当時の記念写真のようなものだろうと展示パネルで言ってみたり、美術館とか出土品とかいった言葉が醸し出す堅苦しさ難解さを和らげようとしているのが感じられます。っていうか、あれこれ難しく考えるよりも、まずは作品から漂ってくる素朴さ・大らかさ・温かさ……などなどをこちらも素直に受け止めればいいんじゃないでしょうか。そんな気持ちになる展覧会でした。
もちろん、初心者にも親しみやすいだけでなくガチなマニアもじっくり見て楽しめるものです。

 ↑マヤ文明の王権の守護神カウィールを描いた土器
ところで、私が見に行ったときにはコンフント・アンデスによるギャラリーコンサートが行われていました。フォルクローレについてはあまり知識はないんですが、『コンドルは飛んでいく』『アンデスの祭り』『花祭り』などの私でも知っている曲があって嬉しかったです。以前ここで古代の笛の音を聞かせていただいたこともありましたが、地域・時代による違いこそあれやっぱり音楽は昔も今も楽しまれているものだなと改めて思ったものです。着ぐるみペッカリーがテーマソング「オイラ土偶のペッカリー」に合わせて踊ったりもしていました。


 ペッカリーの隣の海賊みたいな人はスペイン海軍の戦艦BLAMの館長もとい艦長
なお、ペッカリーやBLAMのことは来年1月9日(1月8日の深夜)午前0:25~0:45にNHK総合にて放送予定の『ドキュメント20min』で紹介されるそうです。全国放送です。踊るペッカリーも見られるのでお楽しみに!

 ↑取材の合間に休憩するペッカリー
 
そういえば、「古代メキシコの宗教歌」でも取り上げられているアタマルクアリストリの祭りの歌(『フィレンツェ絵文書』『プリメーロス=メモリアーレス』収録)、これのテキスト部分にはテスカトリポカは出てこないんですが、『プリメーロス=メモリアーレス』では挿絵の方に登場してます。花の咲く木に機をかけて布を織るショチケツァルの向かいに立っています。これはどういう意味のある図なんでしょう? テスカトリポカとピルツィンテクトリ・ショチピリ・センテオトルなどとの関連性・類似性についても調べてみたいです。

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