調べ物をしている途中、ふと思い出して寄り道したこと。
『太陽の伝説』で「第4の太陽」について、「この太陽は「4の水」と名づけられる。そして52年の間水の中にあった。これらの人々は第4のもの、「水の太陽」の時代に生きていた。そして彼らは676年の間生き、それから溺れて死んだ。空が落ちてきた。彼らはたった1日で滅ぼされた。彼らが食べていたのは「4の花」だった。それが彼らの食物だった。「1の家」の年の「4の水」の日に彼らは滅ぼされた。全ての山々は姿を消した。そして水は52年の間満ちていた。彼らの時代が完結する時、ティトラカワン(テスカトリポカ)は、タタと呼ばれる者とその妻ネネに命じて言った「厄介事は措いておけ。糸杉の大木をくりぬいて、トソストリの月に空が落ちてくるから中に入っているように」。それで彼らは中に入った。ティトラカワンは彼らを封じて言った「お前はただ1本のトウモロコシの穂だけを食べてよい。お前の妻が食べてよいのも同様に1本だけだ」。運良く、トウモロコシを全て食べきった時に、彼らは浅瀬に乗り上げた。水が引いていくのが聞こえ、丸太は動かなくなった。丸太を開けてみると、1匹の魚がいた。2人は自分たちのために火を起こして魚を焼いた。その時シトラリニクエとシトララトナクの神々が下界を見て「神々よ、誰が火を起こしているのだ? 誰が空を煙らせているのだ?」と言った。そこでティトラカワン・テスカトリポカは下界に降り、彼らを叱責した。「何をしているのだ、タタ? お前たちは何をしているのだ?」そして彼は彼らの頭を切り落として尻につけ、犬にしてしまった」という話があります(参考・ビアホースト訳『Hystory and Mythology of the Aztecs』なお、英語からの日本語訳がいい加減なのは約翰の能力的に致し方ないことです)。
しかし、『メキシコの神話伝説』『マヤ・インカ神話伝説集』所収の「大洪水」はラストが異なり、「ティトラカワン神は、「神々にささげものをしないで、食物を口にしてはいけない」といいながら、魚を掴んで、尻尾と頭とをひねくり回して犬にしてしまった。夫婦のものは恐れ入って、すぐに空にいる神々にささげものをした。二人は多くの子を産んで、新しい人類の始祖になった」となっています。
原典の『太陽の伝説』バージョンだと、新しい人類じゃなくて犬の始祖なんじゃないのかと思いつつ、松村氏が参考にしたであろうスペンスの『The Myths of Mexico and Peru』の「The Mexican Noah」を読んでみました。果たして、そこでは「And seizing the fishes he moulded their hinder parts and changed their heads, and they were at once transformed into dogs」とありました。松村氏は「they」は「Nata and his wife Nena」ではなく「the fishes」を指すと解釈したのでしょうか?(ところで、夫婦の名前は「タタとネネ」なのか「ナタとネナ」なのかという疑問も起きましたが、『Hystory and Mythology of the Aztecs』の注によれば、ナタと書かれていたけれどタタと読むのが正しいようです)
とまれ、「they」の指示する対象が何であるにせよ、「夫婦のものは恐れ入って、すぐに空にいる神々にささげものをした。二人は多くの子を産んで、新しい人類の始祖になった」という記述は『Hystory and Mythology of the Aztecs』にも『The Myths of Mexico and Peru』にもありませんでした。いったいどこから出てきたのか……と考えていると、スペンスがつけた「The Mexican Noah」という表題が目に入りました。つまり、「メキシコのノア」というところから、「洪水を生き延びて新たな人類の始祖になった人」という連想が働き、そういう展開を付け加えたんじゃないかということです。私が見たところ、「メキシコのノア」とは単に「洪水を生き延びた人」という意味であって、「新たな人類の始祖」という要素は含まれないんじゃないかと思うんですが。
ついでだから「The Mexican Noah」の全文を引いておきます。神々にささげものをしたとかいう文もまた含まれていないということはご覧の通りです。
「The Mexican Noah
Flood-myths, curiously enough, are of more common occurrence among the Nahua and kindred peoples than creation-myths. The Abbe Brasseur de Bourbourg has translated one from the Codex Chimalpopoca, a work in Nahuatl dating from the latter part of the sixteenth century. It recounts the doings of the Mexican Noah and his wife as follows:
“And this year was that of Ce-calli, and on the first day all was lost. The mountain itself was submerged in the water, and the water remained tranquil for fifty-two springs.
“Now toward the close of the year Titlacahuan had forewarned the man named Nata and his wife Nena, saying, ‘Make no more pulque, but straightway hollow out a large cypress, and enter it when in the month Tozoztli the water shall approach the sky.’ They entered it, and when Titlacahuan had closed the door he said, ‘Thou shalt eat but a single ear of maize) and thy wife but one also.’
“As soon as they had finished eating, they went forth, and the water was tranquil; for the log did not move any more; and opening it they saw many fish.
“Then they built a fire, rubbing together pieces of wood, and they roasted fish. The gods Citallinicue and Citallatonac, looking below, exclaimed, ‘Divine Lord, what means that fire below? Why do they thus smoke the heavens?’
“Straightway descended Titlacahuan-Tezcatlipoca, and commenced to scold, saying, ‘What is this fire doing here?’ And seizing the fishes he moulded their hinder parts and changed their heads, and they were at once transformed into dogs.”」
とにかく、新しい人類の始祖云々は『メキシコの神話伝説』『マヤ・インカ神話伝説集』で付け加えられたもののようで、多分松村氏お得意のアレンジなのでしょう。
……やっぱり危ないわ、あの本。
そういえば、本来の調べ物は全然見つかってません。どこにあるんだか……。