Tasteless Blog

拍手・コメントありがとうございます。励みになってます!
 
Warum ist Johannes Ludwig bös?では、テスカトリポカがなぜ400人の息子と5人の娘を作ったのかを書いてなかったなぁそういえば。なぜかというと、神々が戦争を望んだからです。男たち400人は太陽が作られる前に死んでしまったけれど、その後生き返ってウィツィロポチトリを宿したコアトリクエを殺害しようとしますが完全武装で生まれたウィツィロポチトリによって返り討ちにあいます。女たちは太陽が作られた日に死んだけれどやはり生き返り、コアテペックで苦行を行なっていました。
『絵によるメキシコ人の歴史』によれば、ウィツィロポチトリが羽毛となって処女のコアトリクエを懐妊させたのは、彼が万能の神であり望むことはなんでもできたからだということです。しかし『フィレンツェ絵文書』では、ウィツィロポチトリが凶兆と称されることがあるのは羽毛によってコアトリクエが妊娠した際に誰も父親が名乗り出なかったためだとされています。私見ですが、コアテペックでのウィツィロポチトリ誕生譚についてのメシーカ人の認識は『絵によるメキシコ人の歴史』の方によく表れているんじゃないかと思います。『フィレンツェ絵文書』の方は著者サアグンの意見が入っているような気がします。キリスト教宣教師としては、異教の神というか悪魔が処女懐胎(『フィレンツェ絵文書』版では子持ちの未亡人だけど、通常の性行為によらず身ごもったということで)によって生まれたなんて認めたくなかったんじゃないかと。それはイエス=キリストの専売特許にしておきたかったんじゃなかろうか、と思うんです。


なんか突然娘に「クーティ=パイ描いて」と言われたので、描いてみました。いきなりだったので資料なしのうろ覚えですが、大体こんな感じでしたよね?
ウチの娘はクーティ=パイがお気に入りです。時々モノマネをしてますが、真似じゃなくて素にしか見えません。普段から同じようなことやってるんだもんよあの駄々っ子は……! そして病院のお医者さんの前でひとしきり演った後「これクーティ=パイ!」とか言っても多分先生は元ネタ知らないよ。
 
……っていうか、年賀状用の絵を描くつもりだったのに、全く予定外。こういうささっと描く絵も気負いが無くていいかもしれないけど、そろそろもう少し手間をかけた絵も描きたいです。描きながら「ぁあ~面倒くせぇ~っ!」とかボヤくことになるのは分かってるけど。でも描きたいんだよなぁ……。

前の記事のアステカネタを書いていて気になったんですが、ショチケツァルがピルツィンテクトリとの間にもうけた息子の話はあるけど、テスカトリポカとの間に生まれた子供の話ってあるんでしょうか。
アイリーン=ニコルソンの『マヤ・アステカの神話』にはウィツィロポチトリが彼を殺してしまえと要求したテスカトリポカの400人の息子たちを殺したことが書かれてますが、彼らは(黒の)テスカトリポカが一人で作り出したものなので、ショチケツァル及び他の妻たちは関係なさそうです。彼女の本には書かれてませんがl、彼らは黄・黒・白・青・赤の5つの色を持ち、天の第3層に住んでいるそうです。それはそうと、その話にテスカトリポカの400人の息子たちを出すなら、コアトリクエと4人の姉妹(名前は不明)は彼らと同時に作られたテスカトリポカの娘たちであることも言っておかないと正確さを欠いてしまうでしょう。ちなみに、これは『絵によるメキシコ人の歴史』版のウィツィロポチトリ誕生エピソードです。『フィレンツェ絵文書』版ではテスカトリポカは関わってきません。『マヤ・アステカの神話』の「羽をもつ蛇の誕生」は、『フィレンツェ絵文書』『絵によるメキシコ人の歴史』のウィツィロポチトリ誕生譚と『クアウティトラン年代記』『太陽の伝説』の(セ=アカトル=トピルツィン=)ケツァルコアトルの誕生にまつわる話から取捨選択したものを混ぜ合わせて書かれたようです(アイリーン=ニコルソンによればウィツィロポチトリは「ケツァルコアトルの後期アステカ版表現」「ケツァルコアトルの後継者」なので。もっとも、「『魔法使い、恐怖を与えるもの、生の秩序を乱すもの』であるとも言われる――しかし、これは彼をテスカトリポカとして見たとき、もっとよく当てはまる」とも言ってますが)。そこまでは判りましたが、「この物語の劇的な版の一つは、女神の名はラで、(後略)」の部分の出典が突き止められずもどかしい思いをしています。この本もちょくちょく元の神話をぼかしたりアレンジしたり改変したりとかしてるからなぁ……参考文献を詳らかにしていないのはツッコまれたら困るからかと疑ってしまいますよ。
ところで、『絵によるメキシコ人の歴史』ではウィツィロポチトリは最初は赤のテスカトリポカことカマシュトリあるいはミシュコアトル・黒のテスカトリポカ・ケツァルコアトルと共にトナカテクトリ・トナカシワトル夫婦から生まれていますが、後に処女コアトリクエの胎内に宿り再び生まれ、メシーカ人の神となります。つまり、ウィツィロポチトリは黒のテスカトリポカの弟かつ孫ということになります。そして、ウィツィロポチトリがコアトリクエから生まれるより前、チチメカ人の族長として自らも人間となったカマシュトリと出会いセ=アカトル(=トピルツィン=ケツァルコアトル)を生むことになる女性もまたコアトリクエの姉妹、テスカトリポカの5人の娘のうちの一人です。だから『絵によるメキシコ人の歴史』版セ=アカトルは赤のテスカトリポカの息子にして黒のテスカトリポカの孫ということに。
話は少し戻りますが、『マヤ・アステカの神話』ではケツァルコアトルはコアトリクエから生まれたとされています。確かに、『クアウティトラン年代記』ではトランを去ることになったケツァルコアトルが母コアクエイエ(コアトリクエの別綴)に呼びかけるくだりがあります。しかし彼の誕生を描いた箇所ではチマルマンが翡翠を飲み込んだことにより彼を身ごもったということになっています。チマルマンとコアトリクエは同一視されていたのか、それともコアトリクエは象徴的な「母なる女神」なのか……あ、そういえば、ムニョス―カマルゴの『トラスカラ史』ではケツァルコアトルはミシュコアトルとコアトリクエとの間の息子でしたね。他にも何かあるかはまだ調べられてませんすみません。この辺はいずれもう少し突っ込んで調べたいですが、今は措いておきます。『マヤ・アステカの神話』にて「処女のコアトリクエは、羽を集め、胸に当てた。別の物語によれば、母なる女神は、羽ではなくてエメラルドを呑み込むが、(後略)」とあるので、「母なる女神=コアトリクエ」と読めそうですが、これはおそらく『クアウティトラン年代記』のチマルマンのことでしょう。アイリーン=ニコルソンの本の記述がなぜそんな風になったかについては、前述したように彼女がケツァルコアトルとウィツィロポチトリの誕生エピソードを混合していて、かつコアトリクエの重要性を強調するためチマルマンの名は出さなかったからではないかと思います。
チマルマンとコアトリクエの関係ですが、彼女たちが姉妹とされている史料もあります。『バチカンA絵文書』によれば、「チマルマン・ショチトリクエ・コアトリクエの3姉妹がトランに住んでいた。シトララトナク神の使者が天から降りてきて、ショチトリクエとコアトリクエはショックで死んでしまったが、生き残ったチマルマンは息子を授かったと告知を受けた」ということです。ショチトリクエ(ショチケツァルとは別らしい)&コアトリクエ、なんか引き立て役というか、すごく雑魚臭い死に方……。

ショチケツァルは最初はトラロックの妻だったがテスカトリポカが彼女を奪ったという有名なエピソードがムニョス―カマルゴの『トラスカラ史』にありますが、確か他にもピルツィンテクトリの妻だという話もあったよなぁと思っていくつかの資料を当たったところ、『メキシコの歴史(Histoyre du Mechique)』ではピルツィンテクトリの妻でショチピリまたはセンテオトルを産み、さらに彼らの子ではないがナナワトン(ナナワツィン)も育てたとか、『テレリアーノ=レメンシス絵文書』ではセンテオトルの妻だとか、いろんなバリエーションがあるらしいことが判りました。にも関わらず最初に挙げたバージョンばかりが紹介されるのは、やっぱりネタ的に面白いからなんでしょうね。そういえば『世界の神話百科アメリカ編』ではショチケツァルはショチピリの姉妹ないし女性配偶神とされていますが、この記述はゼーラーの「古代メキシコの宗教歌」にてショチケツァルがショチピリに相対するものとされていたり、ショチピリがセンテオトルやピルツィンテクトリと同一視されたりしていたことから来ているんでしょうか。
 
……とまぁこんなことをなんとなく考えつつ日々を送っているんですが、BIZEN中南米美術館(BLAM)の館長さん曰く「日本人の多くが持っている古代中南米に関する知識は大福で言えば美味しい中身をほとんど知らないまま薄~い表面の皮だけを食べてるようなもの。アステカ時代以前のメソアメリカの諸文化やマヤ文明の全体像や時代的深み、プレインカと言われるインカ以前のアンデス文明圏に咲いた諸文化のこと、そして日本には研究者すらいないような中間領域の実に個性的な文化の数々。それらがほとんど紹介されず、紹介されないから知らない。本当はそこが大福の美味しい部分なのに、皮だけ食べて満足してる」とのこと。私などはさしずめ「皮美味ぇ! 餡子も美味しいけどこの皮が好きだ!」と言っているようなものですが、しかしそれも餡子を少しでも味わってみたからこそなんだろうなとも思います。そして「皮が好きだけど餡子も食べたいよね。だって餡子も美味しいし」な気分になってきたので、またBLAMに行ってきました。BLAMが県内にあってよかった。いや、県外の方々にも観ていただきたいと思いますが。アクセスがあまり良くないのがなぁ……。
 
12/1より始まった『ペッカリーと愉快な仲間たち展』、初日に行ってまいりました。
古代中南米の諸文化を「ゆるキャラ」という観点から紹介してるんですが、これも古代中南米諸文化に対する興味を抱かせようとする工夫のひとつでしょうね。

 ↑『ゆるキャラさみっとin羽生』にて配布された資料の表紙
実際、日常生活において古代中南米を意識する機会はそうないだろうし(かくいう私も今に至るきっかけはたまたま『インカ・マヤ・アステカ展』の宣伝を見たことだったし)、こういうのなら取っ付きやすそうです。

 ↑ペッカリー(ヘソイノシシ)土偶
ペッカリー土偶はどうも副葬品ではなかったらしいですが、古代人も日常的にこういうものを眺めて和んでいたのかと思うと親近感が湧きますね。他にも、子供を抱いた母親をかたどった土偶を当時の記念写真のようなものだろうと展示パネルで言ってみたり、美術館とか出土品とかいった言葉が醸し出す堅苦しさ難解さを和らげようとしているのが感じられます。っていうか、あれこれ難しく考えるよりも、まずは作品から漂ってくる素朴さ・大らかさ・温かさ……などなどをこちらも素直に受け止めればいいんじゃないでしょうか。そんな気持ちになる展覧会でした。
もちろん、初心者にも親しみやすいだけでなくガチなマニアもじっくり見て楽しめるものです。

 ↑マヤ文明の王権の守護神カウィールを描いた土器
ところで、私が見に行ったときにはコンフント・アンデスによるギャラリーコンサートが行われていました。フォルクローレについてはあまり知識はないんですが、『コンドルは飛んでいく』『アンデスの祭り』『花祭り』などの私でも知っている曲があって嬉しかったです。以前ここで古代の笛の音を聞かせていただいたこともありましたが、地域・時代による違いこそあれやっぱり音楽は昔も今も楽しまれているものだなと改めて思ったものです。着ぐるみペッカリーがテーマソング「オイラ土偶のペッカリー」に合わせて踊ったりもしていました。


 ペッカリーの隣の海賊みたいな人はスペイン海軍の戦艦BLAMの館長もとい艦長
なお、ペッカリーやBLAMのことは来年1月9日(1月8日の深夜)午前0:25~0:45にNHK総合にて放送予定の『ドキュメント20min』で紹介されるそうです。全国放送です。踊るペッカリーも見られるのでお楽しみに!

 ↑取材の合間に休憩するペッカリー
 
そういえば、「古代メキシコの宗教歌」でも取り上げられているアタマルクアリストリの祭りの歌(『フィレンツェ絵文書』『プリメーロス=メモリアーレス』収録)、これのテキスト部分にはテスカトリポカは出てこないんですが、『プリメーロス=メモリアーレス』では挿絵の方に登場してます。花の咲く木に機をかけて布を織るショチケツァルの向かいに立っています。これはどういう意味のある図なんでしょう? テスカトリポカとピルツィンテクトリ・ショチピリ・センテオトルなどとの関連性・類似性についても調べてみたいです。

Proudly powered by WordPress. Theme developed with WordPress Theme Generator.
Copyright © Tasteless Blog. All rights reserved.