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岩崎賢氏の「ネモンテミとテスカトリポカ」に「レオン・ポルティーヤは(中略)テスカトラネスティア(tezcatlanextia:事物を出現させる鏡、の意)という語句が、「煙る鏡」テスカトリポカと一対をなすものであると主張する」とあるけど、岩崎氏が挙げている本(La Filosofia Nahuatl)とは別の本(Native Mesoamerican spirituality)ではポルティーヤは「ここでは至高の二重の神は「煙る鏡」テスカトリポカと関連付けられている。テスカトリポカはここでは「事物を出現させる鏡」テスカトラネシュティアとして現れている。テスカトリポカとテスカトラネシュティアとは二重の神の二つの面である」と書いてるんですよね。対は対なんだろうけど、テスカトリポカがテスカトラネシュティアたり得るというのはどういう感じなんだろう。テスカトリポカは「煙る鏡」だけど、トラトラウキ=テスカトリポカ「火のような赤、明るく輝く赤の煙る鏡」にもなるんですよね。その辺も何か関連してるんでしょうか? そういえば、『フィレンツェ絵文書・第6書』収録のテスカトリポカへの祈りの中で「哀れな者、平民、目の見えない者、盲目の者に光明をもたらしたまえ。彼に松明を、光を、輝きを示したまえ、彼がなすことすべてのために」といったくだりがあるんですが、ここで出てくるtlanextli(輝き)はtlanextia(~を明らかにする)と同様にtlanec(i)(夜明けの間・明るくなること)から来ている語らしいです。また、ナワトル語の修辞では「明かり・松明・鏡(tlahuilli, ocotl, tezcatl)」と言えば、「規範・判断の手掛かり」を表します。
テスカトリポカと言えば、闇とかカオスとかのイメージが強いし実際そういう要素を持っていますが、光とか秩序とかを表すものとしての彼についてももっと調べてみたいです。

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