Tasteless Blog

「ケツァルコアトルは1のアシの年に戻ると予言して旅立った」という話はアルバ=イシュトリルショチトルの著作に出てたらしいです。
しかしこのクロニスタ、ケツァルコアトルあるいはウェマクをキリスト教の伝道者としてるんですよね。もっとも、それは彼が言い出したことではなく、もっと昔からあった解釈ですが(ディエゴ=ドゥランはトピルツィンあるいはウェマクを使徒トマスと同一視してた、とか)。
現在広く知られているケツァルコアトル帰還の予言にまつわる話では、このキリスト教伝道者という設定が抜けてしまっているようです。近年言われる「ケツァルコアトル帰還の予言は征服後に作られたもの」という説は、これがあった方が解りやすいと思うんですが、省かれてしまっているのはやっぱり「ない方が昔からの予言らしくてドラマティックだから」でしょうか?
 
アルバ=イシュトリルショチトルはテスココ王家の血を引く先住民系クロニスタですが、彼自身はキリスト教徒だし征服を体験していません。
なので彼の書いた歴史は、自ら歴史の証人として語ったものではなく、祖先の歴史を研究し自分の同世代の人々に伝えるといったものでした。そして、テスココ王家の末裔でありキリスト教徒でもあるという立場から、キリスト教的世界観により祖先の歴史を解釈したのです。
 
テスココ王家といえばもっとも有名なのは賢王の誉れ高いネサワルコヨトルでしょうが、彼のイメージの元になっているのもアルバ=イシュトリルショチトルの著作でしょう。
しかし、前述のように、彼はキリスト教の世界観に合う形で先祖の業績を語ったので、スペイン人到来以前に唯一神信仰に目覚めた人物ということが強調されるようになったのでした。そして、後世の人々がそのテキストを成立の背景を抜きにして読んだため、先スペイン期からずっとそのように伝えられてきたのだと思われたようです。
 
ところで、ネサワルコヨトルが崇めていたとされる唯一神トロケ=ナワケですが、これは本来オメテオトル・テスカトリポカ・ケツァルコアトルなどいくつかの神々に対して用いられる呼称でした。しかしキリスト教の布教に際して、宣教師たちはキリスト教の神を表わす語としてこれを流用しました。
それ故、トロケ=ナワケが表わすものが征服以前の神なのか新たにもたらされた神なのか、判りにくくなっているあるいはあえて判りにくくされています。
なお、同様の問題は『フィレンツェ絵文書』など他の資料にも見られます(アルフレド・ロペス=アウスティンの『カルプリ』をお持ちの方はその中の「海を越えてきたメシーカ人の歴史物語」もご参照願います)。
 
また、ネサワルコヨトルと信仰といえば、メシコからウィツィロポチトリの神殿を建てるよう勧められたので建てたが、その向かいに空の神殿も建てたという話も有名です。しかし、このエピソードにもキリスト教的解釈が入っているかもしれません。
『プリメーロス=メモリアーレス』ナワトル語英語対訳版の脚注で、ネサワルコヨトルはアコルワ人とメシーカ人のハーフであること(父はテスココ王イシュトリルショチトル1世、母はメシコ王ウィツィリウィトルの娘マトラルシワツィン)が彼の治世にテスココでウィツィロポチトリ信仰が始まったことと関連して書かれてました。
 

以下余談……「人身供犠を否定した善神ケツァルコアトル」「唯一神を見出した賢王ネサワルコヨトル」これら2つのイメージは同根でしょうが、私としては「アステカに興味はあるけど生贄は嫌」という西洋人(日本人も含む)に重宝され過剰に持ち上げられている感じがどうにも気に食わないのです。ケツァルコアトルやネサワルコヨトル自体が、ではなく、イメージの利用のされ方が。
 

Leave a Reply

You must be logged in to post a comment.

Proudly powered by WordPress. Theme developed with WordPress Theme Generator.
Copyright © Tasteless Blog. All rights reserved.