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今日も今日とてアステカネタですが、今回は神々ではなく王たちの話。
先日ツイッターで書いた第8代メシコ王アウィソトルの死に関する話を加筆・整理してこちらにも掲載します。
 

アウィソトルの最期については洪水の際に逃げようとして頭をぶつけて…という話が有名ですが、出典って何なんでしょう? 別の説もあったよねとドゥランの『ヌエバ=エスパーニャ誌』を見れば、若い頃は心身ともに逞しかったアウィソトルはショコノチコの戦いから帰った後何者かに毒を盛られたのか病を得て、骨と皮に変わり果てて死んだとか。暗殺疑惑のあるメシコ王といえば第7代ティソックが有名ですが、アウィソトルにも毒殺説があったんですね。
ドゥランの本にはアウィソトルの骨壷は太陽の石のそばに埋められたとありましたが、やっぱりあの2006年にテンプロ=マヨールで発見されたトラルテクトリのレリーフの辺りなんでしょうか。なかなか続報が届かないのでもどかしいです。
 

骨壷の行方については今後の発見を期待するとして、アウィソトルが亡くなった当時の話に戻ります。
アウィソトルの死が知らされると、君主諸侯が訪れ弔いの言葉を述べました。
テノチティトラン・トラコパンと共に三国同盟を結んでいたテスココの王ネサワルピリもアウィソトル崩御の報を受けテノチティトランにやって来て、屈みこんで涙ながらに死せる王に語りかけたそうです。遺体に向かってまるで生きている相手に対するかのように語りかけることを、ドゥランはなんと理知的でない慣例かと驚きつつも、ネサワルピリの弔辞を記録しました。
この文章において「王」と訳しているナワトル語「tlatoani」とは直訳すると「語る人」であり、支配者には弁舌が重視されたことが伺えます。特にネサワルピリはその父ネサワルコヨトル同様詩人としても高名でした。
以下にネサワルピリがアウィソトルに手向けた言葉を和訳にて紹介しますが、ナワトル語→スペイン語→英語→日本語と重訳にも程があるうえ、最終工程担当者が約翰なので、内容の正確さは保障されません。大体こんな感じ、ぐらいなつもりでお読みください。
 


おお我が息子よ、勇敢な若者、力強い王よ、安らぎの中にあれ、安息と平穏と共にあれ。

さて、君主よ、あなたはウィツィロポチトリの威風の前に現れるものすべてとこの輝かしい都市への奉仕、あなたが課せられねばならなかったメシコ-テノチティトランの統治という難事とその務めの苦難を残していった。

あなたの王国の貴族や偉大な人々をまるで保護者のいない孤児のように残していった。年老いた男女を、寡婦や孤児、貧窮からの救済を待つすべての貧しい人々を残していった。あなたは父祖と共に憩いに行ったが、あなたが負っていたこの世界を統治する仕事を助けた親愛な人々、あなたの兄弟、従兄弟、おじ、近しい親戚達を見捨てていった。あなたの子女は孤児となり、妻たちは見捨てられた。

あなたが死んでからというもの、太陽は沈み隠れてしまい、この都市は闇の中へと進んでいる。あなたの威厳威風が照らし光を投げかけていた王座には光がない。あなたがその化身として国を治めていたところの神の部屋、草を取り掃除し綺麗に保つようあなたが命じていた全能の神がおわす部屋にはいまや塵芥が満ちている。

いまやあなたはこの苦役の遂行から解放された。常に決断を下していた諸々のことに対する心労と責任感とにあなたを縛り付けていた綱はいまや引きちぎられた。ならば休みなさい、我が息子よ、安らかに眠れ。さあ、私はあなたに神の創りたもうたこれらのもの、あなたの従者を連れて来た。彼らはあなたの先に立って安らぎの地に行き、そこであなたに仕えるだろう。

 

「我が息子」と訳した箇所はナワトル語では「nopiltzin」だった可能性があり、だとしたら「我が君」といった訳の方が適切かもしれません。実際の弔辞がどのようなものだったかは現状私には確認しようがないんですが、しかしナワトル語の原文が知りたい、朗読してほしい……。
 

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